金谷 潤子
2月24日
黄泉比良坂(よもつひらさか)
聞いたことがありますか?
現世と常世の境目とされています。
その昔、日本神話では国造りの男神イザナギが亡くなった女神イザナミに逢いに行きます。
決して姿を見ない様に言われたのに、つい火を灯すとイザナミは既に醜く腐っており、見られた怒りでイザナギを追いかけて来ます。
必死に逃げたイザナギは黄泉比良坂まで来て、ここを岩で閉じてしまいます。
悔しくてイザナミは「人の命を毎日1000人終わりにしよう」と言い放つと、イザナギは「それなら毎日1500人の赤子が産まれるようにしよう」と答えたとか。
ここから生と死の概念、寿命などが生じたと言われています。
三途の河と似ていますね。
世界中であの世とこの世の境目には川やトンネルが共通して登場するのは不思議です。
ですからやはりあの世はあるのでしょう。
先日お看取りした方は、なぜ保っているのか医学的には理解できない状況で3〜4日間持ちこたえました。
血圧はずっと50以下で測定不能。
意識はもちろん既に無く、40度の発熱がありました。
血圧が低いのにもかかわらず、高熱のおかげで手足の色は変わらず(通常、お看取り近くに血圧が下がってくると、血が届かなくなる為、手足の先から青っぽく冷たく変化してきます)
ポカポカでした。
高熱にもかかわらずなぜか呼吸はとても穏やかでお顔も気持ち良さそうに寝ているようにしか見えませんでした。
この方は子供さま3人にお会いしたかった様です。
血圧が下がり身体は終焉を迎えようとしていましたが、持ち堪える為にこの方は自ら発熱して血流を保ちました。
(辛そうには見えませんでしたので、解熱の為の薬剤は用いませんでした。後から、それは意味のある、本人の意思による発熱だったと気がつきました。)
最後に遠く離れた息子さまが到着すると、
その数時間後に熱は下がり奇跡は幕を閉じました。
黄泉比良坂を越えることは
あるいは三途の河を渡ることは
簡単でした。
けれどもお父さまはそこで懸命に工夫されて待っておられました。
人のいのちは医者が決めるものではありません。
緩和ケアや終末期医療というものは、
人が現世での自らのいのちを終おうとする為のお手伝いです。
「ケア」と言う言葉の意味は「おてあて」「寄り添い」「気遣い」「お世話」「お手伝い」「癒し」です。
「キュア」は医療で生命を救う治療を施すことですが、
緩和ケアはキュアでは無いのです。
それは家族や近しい方々でも十分にできることも。
むしろ、薬よりも大きな効果が近しい人々や環境に隠されています。
麻薬や精神科薬を使いこなすことだけが緩和ケアと考えるのは大間違いです。
終末期における医療は、
ご本人の終おうとしているそのやり方の決して邪魔をしないよう、
穏やかで安心した時間であるようなお手伝いであるよう、
いつも心がけなくてはなりません。
※写真は恐山の極楽浜です。