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2019.03.12

訪問診療ブログ『生きる』

金谷 潤子

3月5日

在宅医としての私がいつも感じていること。
在宅医療は病院医療がそのまま家でも受けられるということでは無いということです。
ご本人の生活を安定させる為の工夫を体調管理も含めて検討する中の医療的側面を担うもの。
…とでもいいましょうか。
血液検査や画像診断には反映されないことも時には治療対象となります。
なんとなく元気が無い。
歩き方がいつもと違う。
食べる量が少ない。
そして、治療方法も薬剤とは限りません。
環境を変えたり、
接し方を工夫したり、
食べる時間を変えたり、
リハビリをしたり、
目標を考えたり。
私は在宅医療らしい医療の在り方をいつも考えます。
病院と同じ=安心
という考え方を変えるために。
お迎えまでの時間をどう過ごすかを考えることも大切な在宅医療の担いです。
高齢者
癌の末期
難病の終末期
であることは、積極的医療(或いは延命治療。どちらの表現も嫌いなのですが…)を受ける資格が無いでしょうか。
90代後半の癌末期の男性。
お弟子さんもたくさん居られる書家でいらっしゃいます。
ご縁があった際にはもうお迎えまで間もないという状態でした。
ご本人と何度も話しました。
彼はまだまだやりたいことがある、
まだ生きたい。
忘れん坊さんが進んでいてもきちんとお気持ちは固まっていました。
少しでも長く生きたい、
と、はっきり私に言いました。
喉に大きな癌の転移があり、飲み込みはかなり難しくなって来ています。
どんな治療を望みますか?
話ができなくなるのは嫌だ。
だから、喉に穴は開けたくない。
でも、少しでも生きたい。
私は高齢者や終末期の方の高カロリー点滴はいつもはあまり考えません。
けれどもこの方の強い意思を確認しましたので、それを伝える内容でお手紙を書き、CVポート造設依頼を病院にお願いしました。
消化器と外科のドクターにご理解いただき、「なるべく入院したくない」という希望も叶えて日帰りで造設して下さいました。
この方には最小限の高カロリー輸液をしています。
それ以外に少しだけ食べやすい好みのものを口からも食べて頂いています。 (このさじ加減が病院とは違うと思っています)
痰の吸引も欠かせません。
彼は痰の吸引を継続してでも、点滴や口から食べることを望まれました。
24時間看護体制の施設の自分のベッド周りのスペースで、調子の良い時には何枚も書を嗜まれます。
かなり痩せてしまいましたが、ベッド横に設置した書道用の机に向かう凛としたお姿からは教えられるものが多くあります。
お弟子さんにとっても、終末期のこの方の作品からの学びがどれだけ尊いか。
この方のこの姿は延命でしょうか?
若い方の生には意味があり、
この方の生にはもはや意味はありませんか?
生きようとするのか。
終うお支度をされようとするのか。
お一人お一人全て違う
そのいのちの灯火の行方が
まだ小さくとも最後まで燃えていようとしているのか
そっと消えて行かんとしているのか
しっかりと見定める。
その寄り添いには
人として生きる為に大切な全てが
必ず生まれるでしょう。

※写真は数日前にこの書家の書かれた「生」の字です。
この字からほとばしる「生きようとするエネルギー」に畏敬の念を抱きます。

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