金谷潤子
9月14日
その昔、日本では心身の調子が悪くても直ぐに医院に連れて行くのではなく、
先ずは家族やご近所さんの中で薬を分け合ったり、
有効な方法を皆で考えたりしていました。
そんな「手あて」と呼ばれていた民間療法の中には今もなお有効と信じ、
取り入れられている方法が多くあります。
1960年代に国民皆保険制度が確立し、
新しく大きな病院がどんどん設立され、
さらに70年代には後期高齢者保険制度が後押しして、いつのまにか「心身の不都合は病院にお任せ」のスタイルが出来上がって行きました。
しかし、どれ程機器が発達しても、
人の心身の不都合は検査で全て原因が分かるものではなく、
また、その改善も薬剤や病院での施術だけが頼りとなるわけではありません。
伝え聞いてきた民間療法や十分な休息、食事の工夫、人の優しさ、繋がり、信頼の中で改善を見る症状もたくさんあるのです。
高齢となったり障害を負っても、
私たちには「社会参加し幸せに生きる」権利と義務があります。
そして、若者には太刀打ちできない、
圧倒的な経験と知識もあります。
年をとろうが、
障害があろうが、
言葉が通じなくても、
お得意の札を持ち寄ってお互いに支え合うことで、
医者も想像できなかった隠された能力や治癒力が発揮されることも多いのです。
「手」を「あて」て、
「手」をとり「あ」っ「て」、
不都合を解決していく。
そこで分からぬものや重篤なことこそが、
そもそもの病院や医者の担いであったはずです。
予防医療でさえ、全て機器任せ。
それはおかしなこと。
自分の心身を日頃から良く知ろうと努力することが、
自己の健康の第一歩であり、
他人の心身にも手をあてることができるのではないでしょうか。
※この投稿の前半は来週末に予定の
北海道・東北地区訪問看護ステーション連絡協議会研修会の今回のテーマである「地域共生社会」について、私が寄せた抄録でもあります。
画像は訪問先の患者さんの家のブドウ棚。
この下に居たら辛いことも忘れそうですね。