ブログ

2019.10.11

訪問診療ブログ『答えの無い仕事』

金谷潤子
9月28日

私は自分の身体一つで色々な方と繋がり、医療を日々続けていますが、
相手ともなる高齢者住宅の多くは投資家や大きな資本提供している会社の傘下にあります。
今や、病院もそのようになってきています。
医者の多くは基本、アホ(ごめんなさい)ですからお金計算が不得意(専門ではありませんので)で、ただ、人の心身の不都合を何とか良い方向に導こうということに専心する中、言いくるめられて騙されることもあります。

ですから、そのような大きな資本家の正当な協力も必要なのかもしれません。

けれども、
「人」が相手の仕事
「金」が相手の仕事
は、基本的に違うと思うのです。

当院院長はMBAを持っていますし、経済学というのは非常に奥深く大切であることも分かっています。

お金儲けを批判しているのではありません。
どちらが高尚とか話しているのでもありません。

ただ、なんだか私は
この2つの業界の乖離を、特に高齢者産業(イヤな言葉ですね。)において強く感じるのです。

「老い」や「死」について共に考えて下さる投資家さんや資本家さんだと嬉しいなぁといつも思います。

「金」相手のお仕事は、きっと高度で複雑なゲームの様でしょう。
つまり、「答え」があるのです。
「ゴール」があるのです。
行き着きかたは色々であっても。

けれども「人」相手のお仕事には「答え」がありません。
そこで価値となることは一通りでは無いのです。

病気をただ治せば良いのではない。
人がどのように生きたいのかが問われることも多々あります。

昔の凄まじく優秀な偉人は、その2つの能力を兼ね揃えていた様な気がします。
答えを追求する「科学者」であり
答えの無いことを表現する「哲学者」「芸術家」でもある方が
多くいらっしゃいました。
ヒポクラテスやミケランジェロなどは有名です。

私はアタマが科学者ではありませんので、答えのない今の自分の担いは性に合っている様です。
お一人お一人に求められている、
また、時によっても変化するその思いに添って仕事して参ります。

「死」や「老い」は、
「答え」でも「ゴール」でもありません。
ですから、高齢者産業もデス・ビジネスも画一的であってはならないと思います。

それは合理的ではなく、コスパも悪いのかもしれませんが、
私はその2つを無理矢理結びつけると、人の心に歪みが生じるのではないかと感じています。

うまく表現できませんが、「答え」に振り回されることなく、悲しく辛い思いをしている方々が日々小さな幸せを見つけられる社会、未来でありたいと思います。

一番上に戻る