金谷 潤子
10月3日
白血球の異常高値、凄まじい炎症の存在。
肝機能の悪化。
この検査結果だけを見ますと、
かなりの危篤状態、高熱で或いはせん妄まで起こしているかもしれない。
痛みに苦しみ、動くことも飲食もままならないのでは?と想像されます。
この方は昨年お看取りさせていただいた、あるお若い食道癌末期の患者さんです。
4回に分けて投稿しておりました。
改めて1つにまとめましたので少し長いのですがどうかお読み下さい。
この時、この検査結果の状態でお一人で歩いてスーパーにお買い物に行き、鼻歌歌いながら秋刀魚を焼いたり、カレーを作って美味しく召し上がって居ました。
夜には毎日ビールも楽しまれていました。
もちろん告知は受け、
ご自身の希望で自宅退院し、
日々ご自身の為すべきことを仕上げておられました。
初めは睡眠薬や精神の薬などは要らないと仰っていましたが、私の説明に理解頂いてからはしっかり服用されて夜には良い睡眠を得られていました。
在宅医療の現場では、検査結果や診断とはかけ離れた人の心身の凄味、底力を見せつけられることが多くあります。
多分、人間の持つ当たり前の力なのでしょう。
それが普通に発揮されるだけなのかもしれません。
この検査結果から1ヶ月が経過しました。
呼吸困難が進行してきて、疼痛も強くなってきたので
モルヒネの内服を開始しました。
最初はとても調子良く過ごしていましたが、呼吸抑制から炭酸ガス血症となった為か、或いはモルヒネのせん妄か、ぼんやりとし始めました。
彼はノートに書き殴りました。
「廃人になった」
「薬で頭がおかしくなっている」
「自分じゃない」
お一人暮らしの部屋も荒れ果ててきました。
訪問看護師さんと相談して一度全て麻薬類を切りました。
薬が抜けてくると言葉が次々と現れてきました。
「もう残された時間は短いかもしれません。
でも、これは誰にも分かりません。
もともと、ご紹介頂いた病院の先生が予測していた時間の4倍くらいは既に経過しているのですから。」
「お迎えが近いことは怖いですか?」
「死ぬのは怖くない。自分が無くなることが怖い。」
「もうお身体はずいぶんとお疲れになってきているようです。
酸素が充分入ってくると、時に脳は『酸素が満ちているからそんなに呼吸せずに頑張らなくていい』と、勘違いして呼吸の回数や深さを減じてしまいます。
今の時期は不安や恐怖を和らげて、呼吸の苦しさを取るために少しぼんやりさんの方が楽だ、そうなりたいと言う方も多いです。
◯◯さんはいかがですか?」
「頭がしっかりと最期まで自分でありたい。」
「時間は短いかもしれません。
それでは『最期までご自分で在りたい』を大切にしましょう。
その為に酸素も我慢しましょう。
炭酸ガスを少しでも減らすためです。
呼吸の苦しさを減じる為にごく僅かだけもう一度モルヒネを使いませんか?
ご自分を失う量にはさせません。
会っておきたい方、残しておきたい言葉などお考え下さい。」
再度訪問看護さんと相談して、モルヒネ10mgの坐薬を4分の1程度に切って使いました。(この時は薬剤が喉を通らなくなっていました)
5時間ほど経過して見に行ってくれた看護師さんからは
「とても落ち着いていました。
『まだ少し苦しいけどこれで良い、大丈夫。先生に言われたことを考えて、しなくてはならないことを今まとめてる。』
とのことです。」
と、ご報告がありました。
緩和ケアとはただ痛みや苦しみを除くだけではなく、その人らしさを引き出すための在り方を叶えるための工夫です。
この方にとって、毎日訪問看護さんが来てくれることが最も大きな心の支えだと仰っていました。
それに加えてご自分のお仕事の集大成。
それらを邪魔しないような薬剤調整。
ぼんやり穏やかに過ごすことだけが
理想的な終末期ではない。
人の数だけ幸せの在り方は違い、
価値観も違う、
そして薬剤の効き方もまた違うことをいつも忘れてはなりません。
彼は訪問看護師さんに心を開き、
十分生きたこと、
在宅で思いがけない良い時間を過ごせていること、
自分の生き方を理解してくれていること、
人生に満足していることなど
感謝の気持ちを繰り返し、話していました。
そして、
「死ぬことに何の不安もない。
ぜひ、金谷先生に伝えて欲しい。」と。
泣きました。
翌日、お昼過ぎに訪問看護さんに
「そろそろの様だから、少し楽になりたい。坐薬を少しだけ又使いたい。」
と話され、モルヒネ坐薬の数分の一量を使いました。
ご家族様に「もうお時間は僅かかと思います。お側にいらっしゃっても良いかと思います。」とご連絡差し上げ、数人のご家族様が駆けつけました。
旅立ちの少し前、血圧も触れなくなってから
「最期のトイレに行くかな…」と笑って話されました。
その体力は残されていませんでしたが、ガスが出ると満足されました。
気力だけで意識を保っている、
そんな時分になっても尚、トイレに行こうという、
その気迫、その気構えにご本人の生き様と尊厳を感じました。
ご家族に見守られて数時間後、何度か下顎呼吸となり静かに眠られました。
最期まで死としっかりと向かい合うことを選んだ、
とても潔い、
侍の様な旅立ちでした。
退院する時には24時間点滴で余命2週間とのお話でしたが、
癌末期でお一人暮らしでの生活を、2カ月ほどの僅かな期間でしたがお力添えできたことに感謝しかありません。
この方は物書きさんでした。
バンバンに浮腫み浸出液まで出ている足なのに、
文机にギリギリ最期まで向かい
ご自身のライフワークを計画的に仕上げ、
編集部への投函を託し、生きた証をしっかりと残されて行かれました。
モルヒネでぼんやりさんとなったご自分を「違う」と訴え、
私と訪問看護さんに「自分を取り戻したい」と願われ、
麻薬類の薬剤を中止しました。
クリアになってくる精神を静かに穏やかに噛み締めておられました。
お見事な生き様、去り際でした。