金谷 潤子
10月6日
当院院長と話しているといつも思うのですが、男性医師(ジェンダーハラスメントでしょうか…すみません)、或いは大学病院医師(院長は大学病院時代が長かったので)は、やはり薬剤や治療について学術的な使用法を踏襲しようとします。
私が、色々な薬剤を組み合わせて使ったり、匙加減の微調整をしたり、不思議な使い方をすることを訝しげに感じる様です。
最近、在宅緩和ケア医療は科学者には不得意分野なのではないかと思う様になりました。
以前も確たる答えの導かれない学問(哲学や芸術や。)に近いと言うお話はしました。
緩和ケア医療は、患者さんの中から「痛み」「不安」と言う「消滅したい部分だけ」を取り出して治療すれば良いのでは無いのです。
「痛み」「不安」を取り出すことができて、潰して無くすことができたならそれは科学的緩和ケア治療だと思いますが、実際にはありません。
痛みや不安は、人の生活の中で生じ、またその人の人生や取り巻く環境などたくさんの因子と繋がって影響を受けているからです。
もちろん、痛みも不安も全て感じなくなる様にボンヤリしていただく薬剤治療を望まれることもあるでしょう。
しかし、住み慣れた場所で最期まで生きたいと言う願いを持つ方は、大抵はその様な治療を望まれません。
では、どうしたら良いか。
緩和ケア医療を料理に例えたら、怒られるかもしれませんが近いものがあります。
お料理で作り上げる味は、万人にとって美味しいものとは限りません。
その時の食べる方の体調や、気分、気温や湿度、時刻などに左右されます。
また、使う素材や味付けの組み合わせも、微妙な匙加減(言葉通り)で変化します。
お母さんはあなたに聞くでしょう。
今日何食べたい?
昨日は眠れた?
お昼に何食べたの?
最近、忙しい?
ちゃんと眠れてる?
そして、他にも色んなことを考えてメニューを考えてお料理を作るでしょう。
暑ければ扇風機も用意して。
冷たいビールも添えて。
寒ければお鍋にしましょうか。
温かいお茶を先にどうぞ。
心こもったお母さんの手料理は科学とはちょっと違います。
緩和ケア医療とは、そういうことです。
もちろん薬剤の手助けが必要となることは多いでしょう。
しかし、導きたいことは「痛みゼロへの鎮痛」や「瞬間で就眠」ではなく、
「痛みだけに心が向かないで済む、安心」
「不安を感じないで穏やかに訪れる眠り」
それは人の「心」と言う大事な隠し味無しには達成できないのです。
ですから、イメージは「母さんの手料理」です。
母さんの手料理を作り上げるには、時にはたくさんの「母さん」が必要です。
そして「父さん」ももちろん必要です。
そんなことを考えて工夫することが、緩和ケア医療なのです。
※写真は今日のお昼に食べたびっくりドンキーのプレート。サラダに「ドレッシングじゃなくてマヨネーズにできますか?」と図々しく聞いたら、可愛らしい店員さん、笑顔でマヨを小皿に添えてくれました。個別の微調整、幸せですね