金谷 潤子
10月13日
『魂のことば』
私は患者さんのご家族やご本人とメールやショートメールやLINEなどでやり取りをすることがあります。
わざわざ電話をするのは気が引ける。
けれども、不安なことがある。
そのような状況は思いのほか多いと感じています。
終末期の方の場合は、何かしらで繋がっていることが多いです。
とてもお若い、まだまだ人生の3分の1くらいの癌末期の方。
この方とのLINEでどれほど私が泣いたか分かりません。
なぜ泣いているのか、
分からないほど号泣しました。
眼が腫れ上がるほど。
私は患者さんのことでは大抵泣かないのですが。
ご紹介されてから、3回しかお会いしていません。
初診から2週間も経ちません。
なのに、
この方の短い言葉は
私の心の奥深くまで
するりと届き
大切な何かを教えてくれます。
特別なことではありません。
ご体調の報告、
気分、
短いひと言。
それだけ。
今までに数回だけ。
それなのに、なぜ。
ご家族のサポートはしっかり強く、
残された時間を少しでも共有したいという思いが伝わってきましたので、
麻薬もごくわずかの経口とし、
ご家族で調整していただくことにしました。
麻薬を使い始める時には、いつも微調整が可能であることを念頭に置きます。
私の患者さんたちは最期までお話したり、
食べたり、感じたり、
していたいと願う方が多いため、特に。
この方のいのちの伴走を、
遅れて後ろからそっと見守りさせていただいていて、
すごいなと、
感服するばかりです。
いのちの種火を目の前に、
人の気持ちや身体をなんとかコントロールしようなんて、そんな奢った考え方が通用する訳が無い。
医者は「病気」を治す為のことしか習いません。
終末期の方は、病気ではない。
緩和ケアは「治す」ものではない。
医療者が提供できることは、
ごく一部でしかない。
いのちに心からの敬意を表しながら、
整うための工夫について真剣に考え尽くす。
本当に学びの思いしかありません。
咲きこぼれている蕾は、往診時の庭先からです。