訪問診療ブログ『良くする工夫』
金谷 潤子
11月16日
何かを批判する時には、改善案、あるいはそれよりももっと良い代替案を出した方が良いと思う。
例えばウチはなかなか片付かない(住んでいる人全て片付けない)のだけど、
「なんで片付けないの!」
「普通、出したら戻すよね!」
と、言い放っても絶対改善されない。
(もちろん自分も含めて)
汚している悪事(自分も…)を怒るより、
きっと片付くための工夫をした方が効果的。
(これがなかなか難しいが。)
匿名の文句や批判は簡単に誰でも言えるけど、
それで何かが良い方向に変わることは難しいんじゃないかな。
人の心身も同じです。
ばい菌をやっつける抗生物質が発見されて100年あまり。
それによる恩恵もたくさん受けて来ました。
そうして、悪者をやっつけることばかり考えてきたけれど、
敵もさるものでどんどん武器に抵抗する悪者が出てきます。
ここいらで悪者を蔓延らない心身の作り方から健康や治療を考える必要もあると思いませんか?
悪いことを見つけることも大切だけれど、
良くなる方法も同時に考えませんか?
※写真はいつも怒りん坊の患者さん。
顔のパックに使うシートを圧縮したものを「なんだ?」と言っていたので、お使いの化粧水で膨らませてパックして差し上げました。
とても喜んで下さいましたよ。
質問を適当にスルーするのは簡単ですが、5分もかからず喜んでいただく工夫も簡単にできますね。
診察や医療と関係無いと思われる方は、古い!
人の心身は切り離すことはできません。
たとえ悪い事象が取り除かれたとしても生きる意欲が無いと生命の灯火は弱くなるばかりです。
訪問診療ブログ『フラワーウォール』
金谷 潤子
11月14日
今をときめく米津玄師さんは本当に類稀な才能に溢れていると、どの歌を聴いても感心してしまいます。
歌詞に感動するのは中島みゆきさん以来。
中でもこの歌が大好きです。
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Flowerwall
作詞作曲・歌 米津玄師
あの日君に出会えたそのときから
透明の血が僕ら二人に通い
悲しみも優しさも 希望もまた絶望も
分け合えるようになった
知りたいことがいくつもあるというのに
僕らの時間はあまりに短く
あとどれほどだろうか
君と過ごす時間は
灯りが切れるのは
君のその声が 優しく響いた
こんな憂いも吹いて飛ばすように
フラワーウォール
目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか
何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた
このあまりに広い世界で僕たちは
意味もなく同じ場所に立っていたのに
僕の欠けたところと
君の欠けたところを
何故かお互いに持っていた
どうして僕らは 巡り会えたのか
その為だけに 生まれてきた様な
フラワーウォール
独りでは片付けられないものだろうと
君がいてくれたらほら
限りない絶望も
答えが出せない問いも全部
ひとつずつ色づいていく
離せないんだ
もしも手を離せば
二度と掴めないような気がして
誰も知らない
見たことのないものならば
今 僕らで名前をつけよう
ここが地獄か天国か決めるのは
そう 二人が選んだ道次第
フラワーウォール
目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか
何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる
それでも嬉しいのさ
君と道に迷えることが
沢山を分け合えるのが
フラワーウォール
僕らは今二人で生きていくことを
やめられず笑いあうんだ
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた
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私も、目の前に立ちはだかる壁を
いつも感じて生きて来ました。
ある時は疲れ果て
ある時は怒り苛立ち
ある時は泣き崩れ
それは自分にとって
障壁や害悪、災難としか
思って来なかったけれど、
もしかすると、
何かから自分を守る壁だったのかもしれない
「色とりどりの花の壁」と表現し、
その意味を問いかける、
米津さんの文学的才能に心打たれながら、
愚かで迷うばかりだった自分の半生を振り返ります。
※写真は数年前に訪れたラスベガスのショッピングモールの天井アートです。
訪問診療ブログ『ソーシャルワーキング、そこに愛はあるんか?』
金谷 潤子
11月13日
私は在宅医療業界に入る前、
病棟時代からコツコツ自分で患者さんの為のソーシャルワーキングを自分なりに工夫していました。
医療は、悪い部分だけを取り出して新しい部品と交換するという単純な作業ではありません。
特に在宅医療では、時には心身の不都合の解決ではなく、
患者さんが望む生活をする為に、どのような工夫が必要かを考える医療内容を含むサポートが求められます。
それはパズルの様に、
適切な場所に、正しいコマを当てはめることではない。
そこに愛があるかどうか。
何を馬鹿げたことを言っているんだ?
と、思われるかもしれませんが、
「美学」とはバランスやスタイルではない。
人としての「美学」
人らしさ。
それは、真心でものを見つめること。
自分の医療に美学を持っています。
私の在宅医療はソーシャルワーキングを抜きには語れません。
ソーシャルワーカーさんの担う連携作業だけがソーシャルワーキングではありません。
誰でも考えることができる、
人の真心を形にするための設計図を作ること。
その設計図の工程表がすなわちソーシャルワーキングだと思っています。
行き当たりばったりでは人生の仕上げ部分を請け負うことなんてできるわけが無い。
検査をしたり、薬を出すことが在宅医療では無いのです。
生活に関わる全ての方々、
ご家族、ケアマネさん、デイサービスのスタッフ、ショートステイ先のスタッフ、訪問リハさん、訪問歯科さん、訪問看護さん、薬剤師さん、ヘルパーさん、福祉用具さん、お友達、ご近所さん、
病院との連携のみならず、それら全ての方々の素晴らしい技術やパワーや心がどのように組み合わされば良いか、そのタイミングはいつか?
その工夫の全てがソーシャルワーキングです。
時には介護保険や医療保険の枠を外して考える必要もあります。
高齢者も障害者も、
保険の枠で縛られて生きてはならないのです。
個人の自由意志が尊重され、
多くの方の真心が活かされ、
そして、その集結が新たな生きがいや幸せを生んでいくことを目指すこと。
それが、私の在宅医療の美学です。
※写真は患者さんのお部屋です。
ふと見ると棚に飾られたお人形達にオヤツが添えられていました。
隣のお仏壇のご主人の写真の前にもポテトチップが添えられていました。
こんな尊い優しさを大切にしたい。