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2019.10.23

訪問診療ブログ『魂のことば』

金谷 潤子
10月13日

『魂のことば』

私は患者さんのご家族やご本人とメールやショートメールやLINEなどでやり取りをすることがあります。
わざわざ電話をするのは気が引ける。
けれども、不安なことがある。
そのような状況は思いのほか多いと感じています。
終末期の方の場合は、何かしらで繋がっていることが多いです。

とてもお若い、まだまだ人生の3分の1くらいの癌末期の方。

この方とのLINEでどれほど私が泣いたか分かりません。
なぜ泣いているのか、
分からないほど号泣しました。
眼が腫れ上がるほど。

私は患者さんのことでは大抵泣かないのですが。

ご紹介されてから、3回しかお会いしていません。
初診から2週間も経ちません。

なのに、
この方の短い言葉は
私の心の奥深くまで
するりと届き
大切な何かを教えてくれます。

特別なことではありません。
ご体調の報告、
気分、
短いひと言。

それだけ。
今までに数回だけ。

それなのに、なぜ。

ご家族のサポートはしっかり強く、
残された時間を少しでも共有したいという思いが伝わってきましたので、
麻薬もごくわずかの経口とし、
ご家族で調整していただくことにしました。

麻薬を使い始める時には、いつも微調整が可能であることを念頭に置きます。
私の患者さんたちは最期までお話したり、
食べたり、感じたり、
していたいと願う方が多いため、特に。

この方のいのちの伴走を、
遅れて後ろからそっと見守りさせていただいていて、
すごいなと、
感服するばかりです。

いのちの種火を目の前に、
人の気持ちや身体をなんとかコントロールしようなんて、そんな奢った考え方が通用する訳が無い。

医者は「病気」を治す為のことしか習いません。
終末期の方は、病気ではない。
緩和ケアは「治す」ものではない。
医療者が提供できることは、
ごく一部でしかない。
いのちに心からの敬意を表しながら、
整うための工夫について真剣に考え尽くす。

本当に学びの思いしかありません。


咲きこぼれている蕾は、往診時の庭先からです。

2019.10.11

訪問診療ブログ『緩和ケア医療は母さんの手料理』

金谷 潤子
10月6日

当院院長と話しているといつも思うのですが、男性医師(ジェンダーハラスメントでしょうか…すみません)、或いは大学病院医師(院長は大学病院時代が長かったので)は、やはり薬剤や治療について学術的な使用法を踏襲しようとします。

私が、色々な薬剤を組み合わせて使ったり、匙加減の微調整をしたり、不思議な使い方をすることを訝しげに感じる様です。

最近、在宅緩和ケア医療は科学者には不得意分野なのではないかと思う様になりました。

以前も確たる答えの導かれない学問(哲学や芸術や。)に近いと言うお話はしました。

緩和ケア医療は、患者さんの中から「痛み」「不安」と言う「消滅したい部分だけ」を取り出して治療すれば良いのでは無いのです。
「痛み」「不安」を取り出すことができて、潰して無くすことができたならそれは科学的緩和ケア治療だと思いますが、実際にはありません。

痛みや不安は、人の生活の中で生じ、またその人の人生や取り巻く環境などたくさんの因子と繋がって影響を受けているからです。
もちろん、痛みも不安も全て感じなくなる様にボンヤリしていただく薬剤治療を望まれることもあるでしょう。
しかし、住み慣れた場所で最期まで生きたいと言う願いを持つ方は、大抵はその様な治療を望まれません。

では、どうしたら良いか。

緩和ケア医療を料理に例えたら、怒られるかもしれませんが近いものがあります。
お料理で作り上げる味は、万人にとって美味しいものとは限りません。
その時の食べる方の体調や、気分、気温や湿度、時刻などに左右されます。
また、使う素材や味付けの組み合わせも、微妙な匙加減(言葉通り)で変化します。

お母さんはあなたに聞くでしょう。

今日何食べたい?
昨日は眠れた?
お昼に何食べたの?
最近、忙しい?
ちゃんと眠れてる?

そして、他にも色んなことを考えてメニューを考えてお料理を作るでしょう。
暑ければ扇風機も用意して。
冷たいビールも添えて。
寒ければお鍋にしましょうか。
温かいお茶を先にどうぞ。

心こもったお母さんの手料理は科学とはちょっと違います。
緩和ケア医療とは、そういうことです。
もちろん薬剤の手助けが必要となることは多いでしょう。
しかし、導きたいことは「痛みゼロへの鎮痛」や「瞬間で就眠」ではなく、

「痛みだけに心が向かないで済む、安心」
「不安を感じないで穏やかに訪れる眠り」

それは人の「心」と言う大事な隠し味無しには達成できないのです。
ですから、イメージは「母さんの手料理」です。
母さんの手料理を作り上げるには、時にはたくさんの「母さん」が必要です。
そして「父さん」ももちろん必要です。

そんなことを考えて工夫することが、緩和ケア医療なのです。

※写真は今日のお昼に食べたびっくりドンキーのプレート。サラダに「ドレッシングじゃなくてマヨネーズにできますか?」と図々しく聞いたら、可愛らしい店員さん、笑顔でマヨを小皿に添えてくれました。個別の微調整、幸せですね

2019.10.11

訪問診療ブログ『はじめまして』

金谷 潤子
10月6日

札幌で細々と在宅医療を主に時に予防医療や代替医療をしております。

時代の流れとともに「家に最期まで」或いは「最期に家で」という方は増えており、ここで投稿している内容もいつしか看取りのご紹介が殆どとなりました。

私の仕事は語り部ではありません。
百数十人の自分の患者さんの生活を少しでも安心なものにするサポートとして、医療からの工夫をする医者です。
しかし、終末期医療や緩和ケア医療に対して、
一般の方はもちろん、たとえ病院の医師であっても誤解されていることがあるという事実に少しずつ気がついてきました。

お話する機会や、或いは投稿することで、

「もっと難しく考えていたために少しの勇気が持てなかった」
「そうだと知っていたら、あんなに悩まなかった」
そんな声が少しでも減り、
病院の医師とも良い関係性を築くことができるかもしれないと、不肖にも考えて今に至ります。

在宅医療を始めて6年、
投稿を始めて6年。
ありがたいことに、今は月に1〜2回講演依頼もいただくようになりました。
資料無しのその場語りで在宅医療や終末期医療などについてお話させて頂いています。

要介護5の父の主治医となるべく、在宅医療の道に進みましたがその父も昨年急逝致しました。
しかし背中を押してくれる父の手を今も感じています。

当院の在宅診療部は私1人のかかりつけ医ですので、
常に訪問看護さんや訪問薬局さん、ケアマネさんや地域の福祉介護の方々のご協力を得て、お一人お一人違うチームの顔ぶれの中、医療面での船頭を致します。

残された時間の短い患者さまには、
「在宅医療は、病院をそのまま家に持ってきたのではない」
「人の心身を整える為の工夫は無限で、日々変化する」
という信念の元に自分流の緩和ケアサポートをしております。

終末期の関わりは、マニュアルで全てを語ることができません。
人のいのちの内なる声、不安、願いを感じ取り、
たとえ僅かでもご本人やご家族にとって少しでも良い時間を過ごしていただくため、臨機応変を可能にするチーム医療でありたいといつも思います。

私は終末期に24時間点滴やポンプを用いることが殆どありません。
先にも述べたように、在宅医療は「家でも病院と同じことができること」という部分に安心があるわけでは無いからです。

病院と同じことをしなくても、
或いはむしろ医療によるコントロールを外れた方が、「自分で最期を整える力」が思う存分に発揮できると感じているからです。

もっとシンプルな
けれども丁寧で個別な方法で、
安心や安楽を生み出すhow-toの力量が自分に問われているといつも感じています。
まだまだ精進して参ります。

どうぞ宜しくお願い致します。

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