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2019.07.24

訪問診療ブログ『在宅看取りを知っていただく事』

金谷潤子
5月28日

お看取りが数日続きました。
在宅でお看取りさせていただいた後には、ご紹介元の病院や後方支援を頂いていた病院へのご報告をしています。
まだまだ在宅医療の現場のことは病院では実感できないことが多いと思いますので、看取りまでの経過を少しでも知って頂くことが必要と思っています。
本日も癌末期の患者さまのご報告をこの様な文面で送りました。

『平素大変お世話になっております。
患者様は◯月◯日からフェントス0.5mgで鎮痛開始、徐々に疼痛の増強見られましたがお粥や好きなものを少量摂取されて穏やかにお過ごしでした。
意識レベルも緩やかな低下の経過で、ご家族様は看取りへのお気持ちの準備も十分できたのではと感じています。
3日前には楽しみにしていた訪問入浴を済ませ、2日前には本州から娘様が来られました。
◯月◯日、朝から高熱と下顎呼吸となり◯時◯分に死亡診断させていただきました。
お身内皆さまの見守る中でお顔はとても満足そうな表情でした。
この度は後方支援を頂いているおかげで、ご家族、在宅チームともに安心してご本人の終末期療養を支えることが可能であったと深く感謝申し上げます。
今後とも良い連携を頂けますと幸いです。』

娘様が来られてから、まるで待っていたかの様にお食事も数口堪能して旅立ちました。
少し忘れん坊さんの高齢の奥様は精神的ストレスでご体調を崩されるのでは?と心配もしましたが、看取りの時にはむしろご主人の「最期まで家に居たい思い」を叶えられた高揚感と達成感を感じているご様子でした。
「本当にお疲れ様でした。どれほどご主人様が感謝されていることかと思います。
奥様の寄り添いを仏様もちゃんと見ておられて、お礼に長生きしなさいと言って下さいますね。」
と、話すとクシャクシャの笑顔で恥ずかしそうに
「そうでしょうか。そうだと良いのだけど。」と喜んで下さいました。

看護師さんと娘さんで、若々しいポロシャツ姿にお着替えされたご本人はご自慢の(何度も自慢話をされていました)ご自宅で一際輝いている様な旅立ちでした。

合掌。

2019.07.24

訪問診療ブログ『在宅看取りの立役者』

金谷潤子
5月25日

今朝早くにご自宅でのお看取りがありました。
ご家族多くに囲まれての旅立ちでした。
メディアでも多く取り上げられ、高齢者の療養先病院ベッド数が間に合わなくなっていることもあり、在宅や施設看取りは確かに増えてきているのですが、一般の理解に対して少し違和感を感じることもあります。

在宅看取りで一番大切な鍵を握るのは看護師さん(多くは訪問看護師さん)だと私は思っています。
いつも医者がヒーローのように思われますが、
実際に患者さんの元に頻回に出向き、
身体を拭いたり、
点滴をしてくれたり、
排便の手助けをしたり、
お風呂に入れてくれたり。

その生活に溶け込み、優しい声かけや勇気付けや労いを添えながら、身体のケアをしてくれる。
それは心のこもった、旅立ちの支度のお手伝いです。

この話は何度も話していますが、
医者は看護師さんが安心して「患者さんの看護」に専念できるように、
頭をひねり尽くして、最大の安心を引き出すための薬や処置や治療計画を立て、
適切なタイミングでご家族やご本人に十分な説明をする役割です。
医療は医者だけで行われるものではないのです。

ドラマや映画や本などを見ていると、医者が医療の主役に思われるかもしれません。(紹介の仕方としては医者を主役にして語らせた方が確かに分かりやすいのですが)

けれども在宅療養に於いては、その方に施される「治療」は病院で行われるものに限らないのです。

「人が人を癒やすために考えうる全ての方法」が、「住み慣れた場所」では繰り広げられるのです。

音楽や言葉や生活音や人の手の温かさや、小さな思いやりや思い出の味や、書き尽くせない色々。

ですから、医者は終末期を迎えている方の心身を整える(痛みや苦しみが無くて安心して眠ることができる…という基本をきちんと整える)ことに徹すれば良い。

ご家族や近しい方々が、旅立つ方のお手伝いを安心してできるようにしっかりと先導を取るのは看護師さんだと私はいつも考えています。

今朝も私が死亡診断を終えると、訪問看護さんお2人はエプロン姿で患者さんにずっと話しかけながらお身体を丁寧に拭き、お好みのお召し物にお着替えをして下さりました。
泣き疲れているご家族にも、絶妙のタイミングでそれらの手伝いをさりげなく導き、ご本人のエピソードに花を咲かせていきます。
そこには愛があり、人の優しさが溢れていました。

私は一文字一文字死亡診断書を書きながら、その、悲しいけれども暖かい「プロフェッショナルな儀式」に感謝と感動を感じていました。

素敵な訪問看護さん、施設看護師さんが増えることで、福祉介護の方々と医療を結びつける橋が大きく強くなっていく未来であって欲しいと願います。

2019.05.29

訪問診療ブログ『胃瘻の方のその後…ハンドコミュニケーション✋』

金谷潤子
5月21日

2月に胃瘻選択した方の投稿をしました。
先日ステキなエピソードがありましたのでその投稿に追加してご紹介させて下さい。

脳卒中の高齢女性。
リハビリ入院されていましたが、どうも状態が悪くひっきりなしに痰の吸引の毎日。
病院はこれ以上できることは無いとのこと。
娘さまとお父さまはそれならばと、自宅看取りも念頭に置かれてご縁があり退院しました。

お母さまは鼻管から栄養が入り、点滴をして、酸素が必要でした。
応答は全くありません。身動きもしません。
グァッグァッという、イビキとは違う苦しそうな呼吸音が一日中喉からしていました。
微熱があり、痰の吸引は頻回。

栄養と点滴をやめて自然なお看取りについて話し合いました。
けれども、ご主人さまは諦めきれない。
これ程病状が進む前、介護が少し必要となった奥様のために建て増ししたバリアフリーのお部屋。
やっと家に連れて帰って来たのにお別れなんて辛すぎる。

分かります。

お話を色々聞くと、以前鼻管が入っていた際には自分で何度も抜いてしまっていたとのこと。
鼻管がかなりのストレスとなる方は多くいらっしゃいます。
この喉元の苦しそうな音や、とめどなく上がってくる痰や、低酸素状態や発熱は何もかもが鼻管のせいに思われてなりません。

私は昔、鼻管がどれほどの苦痛か理解する為に自分で入れてみたことがあります。

鼻の奥から喉に管が常にあるその違和感は半端なく。

吐き気を催し、本当に辛かった。
人によっては咽頭の感覚が鋭敏な方と鈍磨な方がいらっしゃいますから一概には言えませんが、鼻管が入っていることで私は唾もうまく飲めませんでした。
患者さんによっては鼻管が入っていることそのものが誤嚥を引き起こす原因になる場合もあるのです。

私は鼻管の代わりに胃瘻を作る事についてご家族に提案をしました。

お父さまは「また入院はもう嫌だ。」
「苦しませるのも嫌だ。」

そうですよね。
でも、胃瘻の手術侵襲は胃カメラとさほど変わりません。
卒業したい時に胃瘻のカテーテルを抜くのはその場でもでき、孔は絆創膏で留めておくだけであっという間に自然に塞がります。

鼻管が取れたなら、お母さまはもっと良い方向に行くように私は思うのです。
お看取りを考えなくても良いかもしれません。
お別れしたくないが為にお父さまも胃瘻に同意され、
理解のある消化器の先生にご相談して短期入院を受けていただきました。
退院してから約1ヶ月後でした。

そして胃瘻栄養となり3ヶ月後の今は、痰の吸引は1日1回程度になりました(もう無くても良いかも)
酸素は必要無くなりました。
喉元の苦しそうな音は消失し、呼吸は安らかで、日中は開眼し表情が豊かになりました。
手足も少し動かすようになりました。
お声かけに反応することも増えています。
リハビリも始めました。
少しの楽しみならば口から食べる可能性も有りと判断して、嚥下のリハビリの為に訪問歯科さんも一生懸命工夫して下さってます。

お父さまは介護と寄り添いに生きる喜びを感じて日々過ごしておられます。

先日、往診の際に麻痺ではない右手を取り、

「〇〇さん、お父さんと毎日一緒に居て嬉しい?
嬉しかったら手をぎゅっとしてね。」
と、声かけすると直ぐにびっくりするくらい力強くぎゅっと握り返してきたのです。

じわぁっと目頭が熱くなりました。

この方はちゃんと毎日生きておられる。
感じておられる。

「お父さん!お父さん!
お母さんね、今、強くぎゅっとしたよ!
お父さんと一緒に居て幸せだって!!」

お父さまも目が潤み恥ずかしそうに「そうかい。嬉しいね。」

それからは娘さまも毎日、
ハンドコミュニケーションを楽しんでおられます。
リハビリの先生にお伝えして、コミュニケーションの手段など色々工夫していただけないか早速お願い致しました。
歯科からのさらなる応援もいただけるとの事です。

この方を自然経過でお看取りせずに、胃瘻を造設したことは延命治療でしょうか?

どの人にも生きるエネルギーの灯火があります。
どれほど高齢でも
意識レベルが低下していても
いのちの灯火は緩やかに小さくなろうと、消える仕度をしているのか、
あるいは小さな種火でも大きく燃えさかるチャンスを待っているのか、
私は医療者としてしっかりと見逃さないようにしたいといつも思います。

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