訪問診療ブログ『良いこと探し』
金谷 潤子
1月5日
生きていく時に、何かを否定して進むのは辛いのではないか?
何かを肯定しながら生きたいと思う。
ネガティブキャンペーンは時に非常に有効だし、人の目を惹くにも効果が有ると思います。
この世の中に否定したいことは溢れていて、
悪いやつだって居なくならない。
善い人に魔が刺すことだって日常茶飯事。
ありえない酷い話も後を絶たない。
争いや憎しみは繰り返してはいけない
けれど、自由を求める限り
平等をうたう限り
どこかで不平等は生じて
得をする人、損をする人があり、
争いは生じる。
だから、否定せずに
何か良いことを肯定し、
美しいものを見つけ、
笑い声を探し、
触れる温もりを大切に生きていきたい。
否定のエネルギーはとても大きく強い。
その役割の人も必要なのかもしれない。
でも、幸せや笑いや美しいことの肯定のエネルギーだって、
集まれば結局、
否定したいことを淘汰できるのだと思う。
でも、それを目指すのでは無く、
ただ、
ただ、
美しく優しく温かなものを
日々見つける努力をして、
そうして終わりたい。
※カラス。古くはありがたい「神の使者」として世界の神話や伝説に頻出しています。
しかし現代になって来ると、「不吉」「死の象徴」などのイメージでとらえられるようになり、ゴミ漁りや人を攻撃したり、すっかり悪者扱いです。
けれども、カラス自体は良くも悪くも変わっていないはず。
昔からカラスとして生きて来たのです。
食べ物が無いから住宅街に出向き、人の邪魔をすると言われているだけ。熊やキツネも同じですね。
訪問診療ブログ『休日、先人たちの語りから』
金谷 潤子
12月25日
今日は朝早くのお看取りから始まり、転倒した方と発熱の方の往診にそれぞれ行って来ました。
高齢者住宅で採血と点滴をしていると、
後方で他の入居者の方が数人だろうか、
天皇陛下の昨日会見で話されたことを語っておられる。
私は黙々と作業をしながら耳を傾けていると、
震災のことや沖縄のこと、
戦争の無かった平成の30年のことなど、
陛下のお言葉を受けながら
しっかりとご自分の意見を述べられていた。
その言葉には重みがあり
陛下を敬う気持ちも滲み出ておられ、
思わず目が熱くなった。
もしかするとご家族や周囲からは、
忘れん坊さんでお一人暮らしはとても無理…と判断されてご入居されている方々なのでしょうが、
聞こえてくる言葉からは
私や私の知る誰よりも
この国への確かな思いが感じられた。
長く生きてきたということは、
それだけで尊い私たちの先人である。
何かができないから
心配だから、
食べさせて、
風呂入れて、
お世話するために
介護保険の点数◯点使って、
外に出ないように鍵かけて、
9時前には布団に入れて寝せて。
そんな「管理」の気持ちで
高齢者中心の日本に未来が有るとでも思うのか。
何より自分たちが管理されて仕方なく生きていきたいか?
海外では老いや死が迫ったときに頼るものは半数以上の人が「宗教」だそうだ。
ところが日本は頼るものの半数以上が「お金」と集計結果が出ている。
日本は死や老いの前には、
無力で特殊で寂しい国である。
お金では残念ながら何も解決しない。
高額な高齢者住宅が素晴らしいと思ったことが無い。
安くても高くても、
働いている方々が入居者と共に生き、
入居者を人として尊敬する気持ちがあるところは良い住宅だけれど、驚くほど僅かだ。
高齢者の話をすると人ごとだと思ってスルーする。
自分にはまだまだ関係の無い話と考える。
でも、人生なんてあっという間です。
良い人間関係を築き、高齢者に敬意を表する。
病気扱いしない。
認知症と括られて、何か良いことがありますか?
ファイターズが負けたら必ず怒る人を病院に連れて行きますか?
お腹が空いたらイライラする人を精神科に連れて行きますか?
どのくらい忘れん坊になったら認知症と呼びたいですか?
加齢は病気ですか?
子供の幻覚はファンタジーと称賛され
高齢者の幻覚には薬が出される。
認知症と括られている方々の
お料理や技術、その工夫と知識…
私の知らないこと、できないことだらけ。
まだまだできることを全て取り上げて箱に入れる。
誰の安心のため?
自分の?
社会の?
高齢者のイライラや悲しみにも全て理由があるのです。
※せっかくのクリスマスに辛口投稿申し訳ありません。
訪問診療ブログ『母さん、もう家に帰ろう。』
金谷 潤子
12月24日
90代後半女性。
もう5年越しのご縁でした。
とてもしっかりとされていて、長い人生の中でお子様たちをしっかりと守り育てて来られました。
主たる介護をされていたのは同居する娘さま。
優しい娘さまは、とても真面目で時に自分の容量を超えて抱えてしまい、鬱を繰り返していました。
薬剤も幾つか飲んでおられました。
人の介入が苦手で、医療は私だけが長年関わっていました。
ショートステイとデイサービスを繋いでの生活でしたが、お一人での介護の重責は娘さまには重た過ぎて、昨年冬にお母様の特別養護老人ホーム入居が決まりました。
その後緩やかに老衰は進み、
この秋に血尿で、特養から病院入院となりました。
飲食量もずいぶんと減りました。
特養へはもう戻れないとのこと。
お母様はポツリと「帰りたい」
娘さまは心を決めました。
1年ぶりの懐かしいお声のお電話があり、
「先生?お久しぶりです。
◯◯の娘です。
母がもう危ないそうなんです。
私ね、家に帰したいと思うんだけど。
私に無理でしょうか?
前はたくさんの方が家に来るの無理だったけど、
今度はちゃんと皆さんに頼る、
皆さんに助けてもらうって決めたからできると思う。」
「帰りましょう、皆で待ってましたよ。
ずっと。」
お母様は家に帰って来ました。
病院で毎日施されていた点滴は卒業です。
一口何かを口にする日もありましたが、
お母様は殆ど静かに眠っておられました。
それでも娘さまが声をかけると、うなづいたり首を振ったりして答える穏やかな時間が過ぎました。
実は娘さまは
決心したにも関わらず
病院でお母様の退院日が近づいてくると
日に日に不安が募り鬱傾向になっていました。
お母様の命の重責が、ずっしりと肩にのしかかったのでしょう。
何度もお電話して安心していただこうとしましたが、寝たきりになってしまったお母様のイメージは重たくなるばかりでした。
ところが。
お母様を家に迎えると、娘さまの心に立ち込めていた暗雲がサァッと晴れました。
嘘のように心穏やかになりました。
娘さんの言葉を借りると
「鬱がぶっとびました!」
「子供に返った母ととびきりのスキンシップで過ごしたい」
自信に溢れる表情に代わりました。
日に何度か訪れてくれる訪問看護さん。
便処置や清拭や
丁寧に根こそぎ痰を取ってくれる、
その優しさと献身に
助けられたから、
救われたからだと
教えてくれました。
人にあまり頼ることなく、
自分で抱え込んで生きてきた娘さまは
看護師さんの優しさに触れて、凍った心が融けたのでしょう。
表情は柔和になり、旅立ち近いお母様の側に寄り添う喜びを噛み締めて過ごしました。
最期の日。
それまで殆どを閉眼で寝ていたお母様でしたが、
朝からずいぶんしっかりと
たくさんを見届けるように
起きている時間が長くありました。
訪れるご家族にもご挨拶をされました。
血圧はもう測れないほど低くなり、
夕方からは昏睡状態となりましたが
娘さんが手を握ると、
優しい手が
ギュッと握り返してくる。
小さな頃から育ててくれたお母様の手。
抱えてあやしてくれて
頭を撫でて
ごはんを握ってくれた
母さんの手。
もう言えなくても
ギューッと
手が教えてくれる。
「ありがとう」と。
「分かってるよ」と。
「嬉しいよ」と。
娘さまの見守る中、お母様はそっと旅立ちました。
娘さまが決心され、
お母様が家に帰ってきて10日目のことでした。
「よく頑張りましたね!
本当によく頑張りましたね!」
呼吸停止の連絡を受けて駆けつけ、
私は玄関で娘さんを強く抱きしめました。
「あっという間でした。
皆さんがいつも居てくれたので怖くありませんでした。
母と最期に家に一緒に居れて幸せでした」
静かに眠るお母様のお顔は、目を瞑りながら優しく話しかけているようでした。
「ありがとう、またね」
※写真はご自宅の切り株に娘さまが飾っているお人形たち。
時々お顔ぶれが変わります。
これは5年前、私が初めてお会いした頃のお庭です。
優しいお心遣いはこれからも空に届きますでしょう。
合掌。