訪問診療ブログ『ソーシャルワーキング、そこに愛はあるんか?』
金谷 潤子
11月13日
私は在宅医療業界に入る前、
病棟時代からコツコツ自分で患者さんの為のソーシャルワーキングを自分なりに工夫していました。
医療は、悪い部分だけを取り出して新しい部品と交換するという単純な作業ではありません。
特に在宅医療では、時には心身の不都合の解決ではなく、
患者さんが望む生活をする為に、どのような工夫が必要かを考える医療内容を含むサポートが求められます。
それはパズルの様に、
適切な場所に、正しいコマを当てはめることではない。
そこに愛があるかどうか。
何を馬鹿げたことを言っているんだ?
と、思われるかもしれませんが、
「美学」とはバランスやスタイルではない。
人としての「美学」
人らしさ。
それは、真心でものを見つめること。
自分の医療に美学を持っています。
私の在宅医療はソーシャルワーキングを抜きには語れません。
ソーシャルワーカーさんの担う連携作業だけがソーシャルワーキングではありません。
誰でも考えることができる、
人の真心を形にするための設計図を作ること。
その設計図の工程表がすなわちソーシャルワーキングだと思っています。
行き当たりばったりでは人生の仕上げ部分を請け負うことなんてできるわけが無い。
検査をしたり、薬を出すことが在宅医療では無いのです。
生活に関わる全ての方々、
ご家族、ケアマネさん、デイサービスのスタッフ、ショートステイ先のスタッフ、訪問リハさん、訪問歯科さん、訪問看護さん、薬剤師さん、ヘルパーさん、福祉用具さん、お友達、ご近所さん、
病院との連携のみならず、それら全ての方々の素晴らしい技術やパワーや心がどのように組み合わされば良いか、そのタイミングはいつか?
その工夫の全てがソーシャルワーキングです。
時には介護保険や医療保険の枠を外して考える必要もあります。
高齢者も障害者も、
保険の枠で縛られて生きてはならないのです。
個人の自由意志が尊重され、
多くの方の真心が活かされ、
そして、その集結が新たな生きがいや幸せを生んでいくことを目指すこと。
それが、私の在宅医療の美学です。
※写真は患者さんのお部屋です。
ふと見ると棚に飾られたお人形達にオヤツが添えられていました。
隣のお仏壇のご主人の写真の前にもポテトチップが添えられていました。
こんな尊い優しさを大切にしたい。
訪問診療ブログ『語りかけと温もりの持つ力について』
金谷 潤子
11月1日
高齢で寝たきりとなり、意志の疎通もできない状態、
或いは終末期でもうお迎えの近い親御さまに、
息子さまや娘さまから
「何を話したら良いか分からないのです」
と、ご相談を受けることがあります。
「母は動けないし食べれないから、
辛いだろうと思うと話題も選んでしまって。」
「もう死を待っているだけの父さんに、
なんて声かけて良いか分からない」
「病院に行ってもする事も無いので
顔を見たら直ぐに出てきてしまうんです」
「自分の親って、なかなか話す話題無いですよね。
目を開けてても寝たきりで話もできないから…。
眠っててくれると、安心して家事もできるからホッとしちゃうんです。」
息子さまや娘さまも、
もしご自身のお子さまがいらっしゃるのであれば
良く分かるでしょう。
我が子が学校から帰ってきて
「あのね、今日ね…」から始まるどんな報告も
楽しく嬉しかったり、
一緒に悔しい思いをしたり、
一緒に涙したり。
自分が食べてない美味しいものを、
我が子が食べてきて嬉しそうにそれを報告したら
不愉快な気持ちになりますか?
自分が行けないところに、我が子が旅に行ったと教えてくれたなら、悔しくて悲しくて憂うでしょうか?
親御さんは子供のどんな話も嬉しく聞くでしょう。
今日こんなことがあったよ。
昼ごはんには新蕎麦を食べたよ。
雪虫が飛んでいたよ。
懐かしい友達に会ったんだ。
実は悩んでるんだ。
久しくお会いしてなかった間のものがたりも。
お話できなくても、
相づちすらできなくても、
きっと親御さんは聞いている。
知らないことでも、
興味無いだろうことでも、
子供さんの話はしっかりと心に届いている。
そうかい、そうかい。
良かったね。
それは嬉しいね。
楽しそうだね。
飲み過ぎないようにね。
どんなことでも
どんな些細なことでも嬉しいに違いない。
手を握ってくれるだけでも。
小さな頃から育ててきた我が子の手は
今は大きくゴツゴツになっていても
親御さんの心の中では
いつまでも小さな可愛らしいもみじの手。
もみじの手で触れてくれたなら、
どんなに幸せだろう。
昔ギューっとしてくれた様に、
寝たままであっても頬寄せて抱きしめられたなら
どんなに嬉しかろう。
ですから、
親御さんのところで
ご自分の思いつくこと何でも
お好きに話すと良いと思います。
言葉を見つけられなかったら、
手を握ったり頬に触れたり、ハグするだけでも。
寝たきりだったり意識が無いと見える方でも、
耳は聞こえています。
触れても何も反応しなくても
誰の手か誰の温もりかきっと分かります。
私もきっとそうだと思うから。
訪問診療ブログ『104歳のあなたから』
金谷 潤子
10月24日
『104歳のあなたから』
札幌生まれ札幌育ちの方。
理容師さんとなり、若き兵隊さんの整髪をして送り出したこともあったそうです。
踊りの師範や三味線の弾き語りなども嗜み、
ご両親やご主人さまの介護にも尽くされて来ました。
80歳になるとご自身で「ボケ防止の為に」と
地下鉄とバスを乗り継いでお一人で囲碁教室に通い始めました。
99歳で大腿骨骨折もされましたが回復。
102歳まで週1〜2回の囲碁教室を楽しまれていました。
その後、心不全増悪があり教室は残念ながら終了。
ご家族の介護負担もあり、施設入所と共に私にご紹介がありました。
0.5Lで在宅酸素が入ってましたが、ご本人は使いたくない。
外していても苦しくはないのですね。
それではやめましょう。
酸素吸入中も苦しくて1日何度か使っていたニトロ。
検討の結果、偽薬で良いのではと考え、
何度か乳酸菌の錠剤を代わりに飲んでいただきました。
それで十分落ち着かれているので終了しました。
複数の降圧薬や利尿剤もゆっくり整理しています。
「もう死にたい」が口癖です。
眠っている時にそのままお迎えが来る様に、ちゃんと私がお約束しますね。
おまじないに眠りを誘う抗うつ薬をほんの少しだけ。
最近はご体調も安定して足の浮腫も消失し、
随分お元気になりましたので、
月に数日〜半分ほどはご自宅に帰られています。
昨日は何と2年ぶりにデイサービスで碁を楽しまれました。
この神々しいお姿。
背筋が伸びます。
この方の人生の幕引きがどの様かは分かりませんが、穏やかに心地良い大往生となるまで、
どうか色々と教えて下さい。
104歳の方のご希望やご意見に私が何を言えましょう。
その生き様から学ぶことしかありません。
彼女が100歳の時にその凛とした有り様は人の心を動かし、NHKの取材を受けて番組となり、本にもご登場されました。
102歳でご体調を崩され重篤となっても、
生命の灯火はまた強さを取り戻して今に至ります。
忘れん坊さんの側面は有りますが、
碁を打つその姿は私たちなど足元にも及びません。
私たちが産まれた時に、立派な大人であった方々。
戦後の日本をしっかりと立て直して来て下さった方々。
感謝と学びしか無いのです。